AKUMA NO SHIRUSHI


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職長の秋

最低限の労働環境確保のためせめて手洗い場くらいはつけろ 水道を蛇口ひとつ増やすだけだろとちょっとした騒ぎになりひとまずそのときは われわれが勝利したが用は相変わらず少し歩いた先にある公園で足していた。

その後さすがに当の現場監督自身も毎度毎度公園まで歩いたり ダッシュしたりのあと子供たちに混じってションベン行列に加わる 煩わしさに辟易してかFRP樹脂製ボックス型仮設トイレの設置に至ったのだが、 このときはまだ冬で日を追うごとにたっぷり充填されていく 糞尿も床下のタンクにおとなしくおさまっており、 戸板一枚下は地獄と歌われる漁船の過酷さに比すれば 若干の寒さを覚えはするもののこれまでの経緯もあって われわれは一時の楽園気分を満喫していたのだった。

孫子の代までにはその痕跡を根こそぎ消去しておきたい そのためだったら残りの人生全てを捧げてもいいとまで原告に言わしめた不名誉な裁判沙汰に巻き込まれしばらくは、 どのくらいかって、ゴールデンウィークに何の価値も見出せないほどの長期間ストップしていたわれわれの仕事も 梅雨明け前後にはようやく再開の兆しを見せ始め 夏至を迎える頃にはもうすっかり嘗ての活気を取り戻していたのだが 相変わらずトイレは仮設のものがひとつだけだった。 そして冬の間は分際をわきまえ戸板一枚下で満足していた地獄が気温上昇に伴うバクテリアたちの活性化により己の存在を声高に主張し始めたのもまたこの頃のことで、 工期の延長、設計の見直し、周辺土地買収工作の進展等々の要因により当初の計画を遥かに凌駕する巨大現場と化し始めた我々の作業所にトイレ―― 現場監督に対する呪詛や中傷や局部だけが極端にリアルな猥画や怪しげな電話番号の数々が黒マジックペンで四方の壁はおろか天井にまでびっしりと書き込まれ 加えて足元からは鼻どころか眼球表面角膜まで破壊しかねない凄まじい腐臭が漂う四角い箱―― が、たったひとつしかないのはいかがなものか、見てみろ、朝礼の後トイレに並んでいる行列を、 最後尾がどこまで伸びているか知ってるか、あの公園までだぞ、ほらよく見ろ、最後尾の連中が公園のトイレに並びだしたぞ、なんだこりゃ双頭の蛇か、 いや絡み合う二重螺旋のDNAか、とにかくこれじゃあ仕事にならんよ。

ようやく重い腰を上げた現場所長が水洗トイレ三十台の導入に踏み切ったのは五桁を超える人数の作業員が出入りし始めた秋半ばのことで、 その頃にはもう各休憩所に八台のジュース自動販売機が設置され労働環境は以前に比べれば格段に快適にはなっていたのだが、 喫煙用灰皿が置かれている階が「1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55…」と何故かフィボナッチ数列に従って配置されていることに一部の作業員、 特に高層階を担当する者たちが怒りの声を挙げ、対する管理者がならばオイラー数、テイラー数、 ベルヌーイ数のいずれかから選んでくださいどうぞご自由にと提案してきたものだから我々は高等数学について通り一遍の知識を得るまでの数ヶ月間だけではあるが禁煙に成功したのだった。

またこのことに付随した意外な効果として、これまでいい加減な計算で鉄筋の本数やコンクリートのスランプ値を誤魔化し浮いた金で夜ごとキャバクラ通いに精を出していた構造設計担当者たちをまとめて追い出すことに成功したことが挙げられる。

まさか監督たちもわれわれが数学科学部生レベルの数式を操るほどまでに勉強するとは思ってもみなかったらしく、 とりわけ高い理解力を示しいつしか「ガロアさん」「ガロさん」「ガッちゃん」と周りから呼ばれていた鉄筋屋の親方を朝礼で表彰するといいだしたのだが、 もうその頃には仇名も変形しまくってなぜだか 「トッシュさん」と呼ばれていた親方は胸を張ってこれを辞退し株を上げた。 しかし実際のところはもうすでに数学のことなど忘れていて頭の中は来月生まれる初孫のことでいっぱいだとバレるのが恥ずかしかっただけのことだとまたまた呼び名が変わって 「ギーさん」になっていた彼はある日の昼休みに結局三階ごとに置かれることになった喫煙所兼休憩所のひとつ、確か七十二階だったと思う、そこで照れながらこっそり打ち明けてくれたものだ。

ギーさん、いやわれわれの代表が弔辞を読んだときには「コスモっちゃん」にまで呼び名が変化していた親方の意を継いだ息子さんが この現場に鉄筋屋の二代目職長として入場してきたときには引越しをみんな総出で手伝ったものだ。 工事それじたいはあまりにも遠大過ぎる計画だったが当初の予定通りつつがなく進んでおり、 既に完成していた低層階をここで働く作業員たちや一般市民に貸しその家賃収入を建設費の足しにするやり方もそれなりに安定しつつあった。 そこに罠があったとはもちろん全てが終わった今だからこそ言えることである。

日々の作業に何の疑いも抱かず生きることと建てることがほぼ同じ意味を持ち始めたある日のこと 毎日大量に出ては回収されていく建設ゴミを長年丁寧に分別してきた仲間のひとりが可燃ゴミ投棄用コンテナの底にへばりついていた一枚の紙切れを見つけた。 何とはなしに気になって拾い上げ見てみる。 そこにはいにしえの神殿を思わせる巨大な建造物とそこで暮らすひとびとの幸福そうな様子がいきいきと描かれていた。 いまどき滅多にお目にかかれない、CGではなく手書きによるその絵はどれくらいかは見当もつかないが、 とにもかくにもの長いあいだゴミの山に埋もれていたとは思えない輝きを放っていた、という。 一目で気に入り自分の部屋にきちんと額装して飾ろうと思った彼の純粋さを責めることはできない。 われわれもきっとそうしただろうから。 しかしその時はだれもが想像もできなかった。 まさかこれがわれわれの従事するこの現場の完成予想図だったとは。 われわれはもちろんのこと全体を監理すべき監督に至っても日々のこまごまとした雑務や調整に追われこの工事の終わりは遥か未来のことだと信じきっていたからだ。 実際のところ工事は今もなお終わっていないし完成予想図にしても施主を一時的に納得させ財布の紐を新たに弛めさせるためのものでしかないことはおよそ建設業に携わる者ならば誰もが知る常識だが、 にもかかわらずわれわれがあの作業をあの死力を尽くして仕事をした一日を自らの人生に組み入れようと決断したのはひとえに例の絵の素晴らしさにすっかり魅了されてしまったからに他ならない。

タネも仕掛けも明かした上でなお騙す。 手札を晒してそれでも圧勝する。 熟練の技能職人とはそういうものだと誰もが心密かに思っており、 尚且つそれをそのまま口にはしない程度の倫理は持ち併せていたのだが、 この日ばかりは誰がともなく誰に向かってともなく冥々が自らの為した業の素晴らしさを異様な興奮状態で語り続けた。宴は朝まで続いた。 そして翌日にはまるでなにごとも無かったかのように我々は仕事をしていた。 祭りを引きずらない正しい仕事人の姿がそこにあった。 いや、われわれにとっては日々そのものが祭りなのであった。 誰かがわれわれを指して貴様らこそ太古の昔、 祭りに呪われ宴に滅ぼされたあの忌まわしき一族の末裔だと言ったが 自分自身もまたそのうちの一人だということを彼は忘れていたのだろうか。